序にかえて 偶然にも一編の与太文を手にした。 本来なら、顧みられる事のないまま、それは地球温暖化に貢献していたことだろう。 しかしながら、敢えて公開に至ったのは、この弄筆とも思われる文の中に自我の崩壊及びその過程における一連の経過が記されていたからである。一定不偏の立場から客観的に論理を展開するのが論文であるのならば、一言、一文毎にその主義主張、立脚点が変動していくそれを、我々は一体何と呼べばいいのであろう。揺らぎの具現化、自己の正当化への悪あがき、それとも・・・・・・。その答えは、読者諸氏に委ねたい。 因みに、そのタイトルは 『オバカイズム宣言』: Manifeste
du Obakaisme (esquisse)
あるいは、我は如何にして心配するのをやめ彼等を愛するようになったのか である。 追記 私は、以下の宣言文に一抹の不安と不信感、そして何よりも戸惑いを覚えずにはいられない。なぜならば、それはいかなる理由からかこの文の著作者が私になっていることに他ならない。 |
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あとがきにかえて かつて、某酒場で某じいさんがかのようにのたまわった。
まさに然りである。 ・・・・・・ 〜 さばれ 〜 Copyright
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