『 薄 - うすらひ - 氷 』


 
ふと手に触れる蝋紙ひとつ
髪筋通し咳ひとつ
 
懐紙代わりに紙風船
その紅に朱を移す
 
名残の表は返るを忘れ
なご しき時は帰るを拒む
 
明けの烏が騒ぐ頃
淡雪ひとつ夢と燃ゆ
 
 
 
一日 ひとひ のお勤め終わったならば
湿った障子を蹴り開けて
澱んだ空気をそそくさと
追いて払いて
朝日を眺む
 
前の池には薄氷
待ちて望んだ朝日を浴びて
きりきりきりりと随喜を上げる
 
一日の終わりの朝の陽が
おまえもそんなに嬉しいか
貰ったばかりの命を捨てて
天に昇るを焦がれるか
 
氷よ氷
舞う手を休めて
応えておくれ
相の剋 こく を生 じょう に変え
戯れみるのは如何かえ
 
此処だけは
静かに揺う朝の時
おき の名残を紫煙に託し
昇る靄 もや にからませようか
 
舞う手を休めて
答えておくれ
靄と身を変え
去りゆく汝 なれ
天に昇りてなんとなる
 
瑠璃色玻璃 はり の杯に
微かに残る火の水に
たん なぞ溶かして飲み干して
共に昇るも一興か
 
白の野に咲き始めたる梅の花
花が落ちるその前に
花が無くなるその前に
共に昇るか徒 いたずら
 
氷よ氷
舞う手を休めて
応えておくれ
答えておくれ
天と消えるその前に
 
 
 
今だけは
静かに流れる時の音
夜明けの糸月沈む頃
火照った芯が冷えたなら
すべてを閉めて締め出して
束の間 あいだ の夢結び
 
 
浮いては沈む色の音
遠く近くの音の色に
ただ流されて漂って
ただ長らえてただ酔って
 
結んで解けるは常の条 じょう
結びて解けぬも常なれば
せめて随 まにま の融けるまで
 
色と音はただ移り行く
音と色はまた流れ来る
流れ交わり佇んで
景色は流れ崩れゆき
思うは崩れ流れ去る
 
かの声のひとつここに至れば
声のひとつもここにぞあれば
天をも指すか薄氷
 
微睡み揺れる午後の香に
たゆらに思う氷の行方
時の流れは嫋 たお やかに
すべてを包 くる んで靄の内
随流離 さすら う外の夢
束の間の夢の中
 
 
 
何を見たのか
顔を染め
彼方に逃げる
陽のひとつ
 
何を聞いたか
青ざめて
遠くへ逃げる
空ひとつ
 
やがて目覚めるこの街の
池に見えるは枯葉の四の五
寄りては返さるその身のひとつ
いつかの眺め思い出す
 
 
気付けば掌 たなうら 紙風船
いつか膨らみ踊り来る
 
ぽんぽんぽんぽん
ぽんぽんぽん
 
寄りては返さる
その身がひとつ
 
ぽんぽんぽんぽん
ぽんぽんぽん
 
弾かれ拒まれ
その身のひとつ
 
今度は何処まで
昇るだろ
 
どの面下げて
戻り来る
 
ただひたすらと
ぽんぽんぽん
 
またひたすらに
ぽんぽんぽん
 
望む声を上げるまで
望む音を立てるまで
 
幾度も幾度も
ただひたすらに
 
破れ果てても
潰れても
 
時が来るまで
満ちるまで
 
穴が開いても
こちらが飽くまで
 
ただひたすらと
ぽんぽんぽん
 
ただひたすらの
暇のつぶしに
 
ぽんぽんぽんぽん
ぽんぽんぽん
 
何処までも
浅き夢をば追いかけて
いつか見た夢追いつめて
靄と天に昇る日を
忘れる為に
忘れぬ為に
 
またひたすらと
ぽんぽんぽん
 
時が来るまで
満ちるまで
 
ただひたすらと
ぽんぽんぽん
 
ぽんぽんぽんぽん
ぽんぽんぽん
 
鉄瓶ちりちり喚 わめ こうが
新たな今に見 まみ えるために
かの夢何方 いずち 消え失せるまで
 
ただひたすらに
ぽんぽんぽん
 
幾度数えるこの儀式
置きて醒めるはいつの日か
 
ぽんぽんぽんぽん
ぽんぽんぽん
 
新たな今を迎えるために
恋しい夜が
やがて来るまで戻るまで
 
またひたすらに
ぽんぽんぽん
 
彼方よりきりりと氷の結ぶ音
 
ほんぽんぽんぽん
ぽんぽんぽん
 
ただひたすらに
ぽんぽんぽん
 
 
やがてまた
きりきりきりりの音ひとつ
流れ消え去り夜近く
 
また今日も
黒い空が降りて来て
一日が静かに始まって
 
咳ひとつ捨て
髪筋通す
いつの間にかに
いつものように
 
紅さし朱を入れ酒入れて
懐紙代わりの蝋紙ひとつ
枕の元に呪 まじな うがため
その夢ひとつ見んがため
 
いつの間にかに
いつものように
 
また明日の日に
相見えんがため
ただそれだけに

 

 
 
 
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